オフィスビルの敷地内に金刀比羅宮

突然ですが、観劇やら何かしらのイベントって、まず抽選だったりでチケットやらの参加権争奪戦から始まるじゃないですか。

それって運で、自分でもそこに運を集中させたいが為に「徳を積む」と仕事を頑張ったり、何かしら我慢をしたり、あるあるだと思います。

更に忘れがちですけど、チケットを手にして更にその観劇まで無事に過ごしてかつ当日楽しいって、それって相当運が良い事だと思うんですよね。

なので、そう絶対にという訳ではないんですが、会場近くに神社があったり気づいた時で行けそうな時は、簡単にでもお礼を申し上げに寄ったりする事があります。

こちらへ伺ったのは染様(染谷俊之)の写真集イベントの帰りでした。
トークショーと写真集のお渡し&握手が終わって「楽しかった〜♪」というお花が飛ぶくらいフワッフワとした良い気持ちで駅に向かって歩いてたんですよ。
たぶんこっちだろうと。
あのおねーさん(帰路につく同じイベント参加者)に付いていけば駅に着くだろうと。

そう歩いていましたら、ふと雰囲気の違う敷地があるなって思って、振り返ってみたらこちらの金刀比羅宮

最初は(オフィスの敷地内かな…?)と通り過ぎようとしたのですが、やっぱり気になると道を引き返してお邪魔してきました。

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【銅鳥居】

いやね、お礼もそうなんですが、この鳥居が気になって……!

遠目にもいつも見る石の鳥居や朱の鳥居とは違いました。
銅鳥居なんですって。

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四聖獣の彫刻が付いてます!
デザインが銅の質感もあってとてもカッコイイ!

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讃岐国丸亀藩主・京極家がまず当時の藩邸があった芝・三田の藩邸に御分霊を勧請して、その後に現在の位置(江戸城の裏鬼門)に遷座したらしい……ですね。

『当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります』
虎ノ門金刀比羅宮HPより引用)


金刀比羅宮金比羅宮、どう違うんだろう。
そう疑問に思ってネットでポチポチ検索してみたんですが、松尾寺から〜とか、サンスクリット語から〜とか。
お、奥が深いなぁ……って、神仏習合廃仏毀釈と、とても振り回されてきたらしいという、大まかな理解💦

そうあっちゃそっちと色々見ているうちに
(四国香川の金刀比羅宮が本宮なんだ〜。香川といえばおうどん有名だよね。それに丸亀城、にっかり青江も定期的に展示されているんだっけ。行ってみたいな〜)
なんて思っていた数ヶ月後には四国旅行決めているのであった。

金刀比羅宮

〒105-0001 東京都港区虎ノ門1丁目2−7